続・幻の移住話
前回の続きから話していきます。
木工機械一式をそのまま譲ってもらい、工房も引き継ぐ形で契約を交わさせてもらいたい。ただし、工房の内外にある不用品だけはしっかりと片付けて欲しい。
という、こちらの条件を伝え了承してもらえたので、あとは売主さんが私に対してどうして欲しいかを尋ねました。
すると、初めは契約についての話をしてくれるものの最終的には
「それで、ここをどういうふうにしてくれはるんかね。」
との返答。
(あれ、さっき伝えたんだけどな…)
と思いつつも確かに私の伝え方が分かりづらかったかなと思い、もう一度伝えるも、また初めは契約についての話からだんだんと話が逸れていって、
「私も今工務店からキャンピングカーの内装の棚の仕事を受けて、作ったんやけど全然取りに来ないんや」
「昔からなんでも作っていて無垢の家具もそうやし、フラッシュ家具も出来るんや」
と、昔作ったであろう箱を見せてくれました。
こちらが話したことに対してなかなか話が噛み合わない感じに。
(うーん困ったなー)
と思っていると、見兼ねた甥っ子さんが話に入ってきてくれて私が伝えた事をもっと噛み砕いてというか、表現としてはストレートに売主さんに対して話してくれましたが、それでも売主さんの話すことがなかなか的を得てないような感じが続いてしまいました。
そんな中でも少しずつ話を進めていくと、更にこちらからすると「あれっ」という展開に。
前回話したように、工房自体は別の大家さんがいて、売主さんがその大家さんと直接契約を結んでいるという状態。
だから、もちろん私が工房を使うのであれば大家さんと契約しなくてはならないわけで、それは売主さんが大家さんに伝えてくれることも了承済み。
しかし売主さんと話していると、どうやら大家さんとの契約の名義を工房を私に譲っても売主さんの名前のままにしたいというような話をしているのです。
(うん?なんでー、どういうことー)
と思い、話を聞いていると段々とそうしたい理由がわかってきました。
その理由がわかるまでの話もなかなか長かったしはっきりとは言わなかったので要約すると、どうやら木工機械と工房を私に譲ることになっても私の仕事を手伝ったり、工房の一部で自分の仕事をちょこちょことやりたいということでした。
コロナの影響もあってのことだとは思うのですが、少しずつ仕事が無くなってきていて、仕事はやめたくないんだけど家賃等を払っていくには厳しくなっている状況があり、それで木工機械を売るという選択をしたようです。
それをその場で初めて聞いたのですが、私としてはただでさえ独立することは大変だと思うし食べていけるかもわからないのに、そこに売主さんがいて売主さんのことまで考えて仕事をしていくことは正直不可能。
冷たいかもしれませんが、それが本音だし。
なので、
「譲ってもらえるとなった場合はあくまでも一人でやりたいから、一緒にというのは無理です。」
とはっきり伝えました。
すると、それまでにこやかに話していた売主さんがみるみるとしょぼんとした顔に。
甥っ子さんからも
「そんな中途半端な気持ちで売るとかいうのはいかんわ。売るというのであれば、ちゃんと決断せな。」
「木工機械を売って、場所を譲るということは=仕事をやめること。譲るならやめなだし、譲らないなら自分でやっていかないかん。」
と伝えられた売主さんはさらに暗い表情に。
それから一気に売主さんの口数が減ってしまった。
確かに、譲るということはそういうことだとは私自身も思っていた。だから、売主さんの考えが少し甘かったとは思うけども、売主さんの気持ちもわかる気がする。
一人で起業して、木工機械を揃えて場所も手に入れて何十年もそこでやってきた。色々な苦労もあったと思うし、思い出もたくさんあると思う。
まだやりたい気持ちはあるのに、仕事が減って維持が難しくなってきた。
だから、ずーーーーっとやってきていたことをいきなりやめるというのは寂しいだろうなって。
そんなことを思いながら甥っ子さんが売主さんを説得している姿をみていました。
結局売主さんの答えが出ず、私としてもこの状況でこの場で答えを出してもらうのは良くないと思ったので、少し期間をおいてどうするのか考えてもらうことにしました。
とりあえず考えが固まったら連絡をもらうということでその場を後にしました。
しかし、車を走らせながら、その時点でもう私の中では今回の話はちょっと厳しいなと諦めていました。
この感じで仮に譲ってもらったとしても、後から何か問題が起きたり、何かややこしいことになるのではないかと。
なので、もうこの日のうちに私のほうからお断りの連絡をさせてもらいました。
ここで!
急だし今更ではありますが、ここまで話してきたこの幻の移住話の移住先。なんとなく日本の西の方だなというのはお気づきかもしれません。
実はこの場所… 京都なんです!!!!!(笑)
まぁ別に京都だからなんだという感じですが、京都ってなんか少し憧れる部分があったし、京都は歴史の古い街だし何か自分にもいい影響がありそうな気がしていました。そんな京都に住めるんだとめちゃめちゃワクワクしていたので、正直残念な気持ちもかなりありました。もう今の会社を辞める気満々でしたからね。(笑)
というわけで、この移住の話は無ったわけです。
まぁ自分から断ったので、連絡を待っていたらどうなっていたかはわかりませんけどね。
とりあえずその日はお昼の時間も過ぎていてお腹も空いていたので、ごはんを食べようと京都市内をうろちょろしたんですが、そこで王将を発見!
今となれば京都まで来て王将かいっ!という気もしますが、そのときは無性に王将に惹かれ、吸い込まれるように入っていきました。(笑)
そして、この日の気持ちをぶつけるように天津飯と餃子をやけ食いしました。(笑)
せっかく京都に行ったので感染予防をしっかりしつつ、神社に行き、
「またいい話がありますように」
とお願いをし、その日は宿に泊まり、次の日朝早く出て帰ってきました。
と、まぁこんなことがあったんです。(笑)
今となってはいい思い出ですし、道志村への移住の方が 魅力的なので京都で契約しなくてよかったです。
次回ではないですが、また今度は道志村への移住を決めた話についても話していこうと思います。
そちらの話の方がかなり長くなりそうですが…(笑)
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
『幻の移住話』 完
幻の移住話
道志村へ移住を決めたのが、昨年の10月頃だったのですが、その数カ月前の昨年の7月のこと。
実は道志村とは別のところへ移住し、工房を構えるという話がありました。
あるサイトで、木工機械を一式売ってくれるという投稿があり、どうしようかなと一瞬悩んだのですが、こんなチャンスはなかなか無いからとりあえず問い合わせだけでもしてみようと思い、譲って欲しいと問い合わせしました。
問い合わせから数時間が経ち、投稿者から返信がありました。
投稿されてから数日経っていたこともあり、既に何人かか希望者がいて、その中の1人と話が進んでいるとの返信でした。
「やっぱりなーそりゃそうだよね」
と思いつつもそこですぐ諦めたくなくて、その後何回かやり取りし、もしもその話が流れた際は自分に話をもらえることになりました。
その後数日が経っても連絡はなかったし、そもそも結構話が進んでいるとの事だったので、ほぼ諦めていたのですが、1週間ほど経ったある日、仕事の休憩中にスマホを見たところ、なんと、連絡が来ていました!!
「なんだろう、まさかな…」
と思いつつ、ドキドキしながら連絡用のチャット欄を確認したところ…
話を進めていた人から返信が来ないので、その間に私とも話を進めていきたいとのことでした。
また、元々私が木工で起業してやっていきたいという話もしていたのですが、売主さんとしても、機械一式と場所をそのまま使ってもらえる人の方がより嬉しいからという理由もあり、改めて連絡をしてくれたとのことでした。
そして何回かやり取りをして、実際にその場所を訪れ見させてもらえることになり、7月下旬に実際に見に行きました。コロナ禍で少しためらう部分もあったのですが、私にとっては急を要することで必要なことだったので、感染予防をしっかりとした上で、訪問させてもらいました。
当日朝、待ち合わせ時間が午前10時から11時ごろということで、午前4時ごろ車で出発し、八王子ICから中央道に乗り、その後圏央道、東名、名神を使って西へ西へ。
とあるICで降り、一般道で待ち合わせ場所へ。
午前10時過ぎに無事到着しました。
小さい川沿いに工房があり、周りは静かで敷地も1人で活動するには十分な大きさであろう感じで第一印象はなんだかいい感じ。工房の外にあるゴミの山以外は。(笑)
到着後すぐ、売主さんが工房から出てきて初顔合わせ。
チャットでやり取りしていた方は売主さんの甥っ子さんだとのことで、売主さんは自身は80歳過ぎのにこやかなおじいさんでした。甥っ子さんも後から合流してくれるとのことで、とりあえず工房の中を案内してくれました。
工房へ入ると、まず目に入ったのは不用品たち。
木工機械の上にも不用品。
棚の上や、作業台にしているところにも不用品。
あらかじめ工房の様子を写真で見せてもらっていたし、不用品たちも捨ててもらえるとのことだったので、それほど気にはしていなかったけど、実際に目にするとなかなかの量でした。(笑)
その後、甥っ子さんが合流し、実際に木工機械を見せてもらったあと話し合いをしました。
まず木工機械の様子。
機械は、手押し鉋盤、自動鉋盤、軸傾斜横切盤、集塵機、ボール盤、角のみ盤などがありました。
必要な機械は揃っており、申し分ない感じ。
そして、今後どういうふうに話を進めていくかの話し合いへ。
私としては話を進めていきたいと伝え、
ただやはり不用品は譲渡前に処分して欲しいという条件をつけました。
すると、売主さんは
「処分することはできるけど、1人じゃなかなか厳しいから時間はかかる」
とのこと。
時間がかかることはしょうがないからそれはもちろん了承。
話を進めていると、工房は賃貸で別の大家さんがいるということが分かったんですが、売主さんがその大家さんに交渉すれば、賃料も今のままでいけるだろうとのこと。
割とすんなり話が進んでいるなと私としては心の中で、
「いいぞ。いいぞ。これは工房GETだー!」
と、思っていたのだが、なんとここから話は思わぬ方向へ…
はい!ちょっと長くなり過ぎているので、この話の続きは次回へ〜。(笑)
次回、
『pomuresica96、王将で餃子と天津飯をやけ食い』の巻(笑)
↑移住話とは関係ないです。制作したお皿です。
ブログ始めました!
あけましておめでとうございます!
ブログ始めました。
記念すべき一発目のブログ。
何を書こうかなと思いましたが、とりあえずまずは、自己紹介からしていこうかなと思います。
私の名前は、『pomuresica96』と言います。
読み方は『ポムレシカ』で『96』の部分は読まないで大丈夫です。
『ポム』って呼んでもらえたら嬉しいです。(笑)
ちなみに年齢は32歳、性別は男で、出身は愛知県で好きな食べ物はフライドポテトです。
私は今現在、東京のとあるところの無垢の木の家具製造の会社に勤務していて、日々、木の椅子を製作しています。その一方で、知り合いの木工房の一部を間借りさせてもらって自分の作品づくりなんかもしています。
こんなのだったり、
こんなのだったり、
こんなのだったり、
というような無垢の木を使った器やカトラリーを製作しています。まだまだ数としては少ないですが、他にも色々な作品があるので、もしも、ほんの少しでも興味が湧いちゃった方はInstagramの方もチェックしてもらえたらとーーーーっても嬉しいです!
https://www.instagram.com/pomuresica/
そしてなんと!(すでにプロフィールでご覧かもしれませんが…)今から約半年後の2021年7月から山梨県道志村へ移住し、独立して木工房を構えることになりましたー!!!!!!!パチパチパチパチ。(笑)
木工を始めたときから、いつかは自分の工房を持ちたいと夢みていたので本当に嬉しい限りです。
初めに紹介させてもらった『pomuresica96』というのは実は私の工房の名前なんです。
『pomuresica96』の意味なんですけども…
実際にお会いした際に聞いてもらえると嬉しいです。(笑)
こんなご時世で、この先どうなるのか少し不安なところもありますが、その不安よりも今はワクワクドキドキの気持ちの方が遥かに強いです。少しでも早く以前のようにみんながマスクをせずに出かけられる生活になることを願いつつ、そうなった際にたくさんの方に自分の作品を観ていただけるように、作品づくりはもちろん、少しでも自分のことを知ってもらえるように、情報の発信をしっかりとやっていこうと思います。
記念すべき一発目はこのぐらいで。
ブログの更新はちょこちょこ出来たらな(出来れば週4ぐらい)と思っているので、気が向いたらまた見に来てくださいませませ。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
それでは、本年よりよろしくお願いします!
↑お雑煮つくって食べましたー(笑)